いなか日記。99『10月の夕日と花々。海に集まる人たち』
ゆうです^^
徒然もなく10月の夕日と花々を紹介します。
もうすぐ新潟は冬。夕日ともしばしお別れ。
そう思うと他の季節よりグッと夕日に心が奪われます。
「希少価値」
を最近、再認識しました。
10月以降の夕日は希少価値が高まります。
雲の感じで言えば、5月や夏場の夕日のほうがきれいなのですが、なぜか「10月の夕日」に心を奪われる。
その理由が分かりました。
「もう終わってしまうから」なんだ。
人は
「今の時期しか見られない風景」
「毎日は食べられないもの」
「よくは行けない場所」
など非日常体験により価値を感じる。
旅先での名産品などありがたく頂いたります。
(仮に特に美味しくなかったとしても)
そう考えると、
「毎日」は毎日来るから、非日常より価値を感じていないのかもしれない。
そう考えるともったいない。
「毎日」だって毎日来るとは限らない。
「今日が人生最後の日かもしれない。」
よく言われる言葉ではあるが、
海に沈む夕日を見ていると、それを「リアル」に感じさせてくれる。
僕は夕日に「終わり」を投影しているんだろう。
(かりゆし58の「オワリはじまり」をよく聴く)
それはネガティブな意味でではなく「リアル」を感じるため。
毎日を感謝して生きるため。
それは旅中に強く感じたことで、帰国後5年が経った今でもその想いは風化せず強く残っている。
最近、夕日の楽しみ方が増えた。
夕日時にいつもの浜に行くと、誰かがいたり、後から誰かが来たりする。
もちろん他人だし、声を掛けるようなこともない。
しかし「夕日が好き」という共通点で『今、同じ場所にいるという(大げさに言えば)奇跡』を楽しむようになった。
海に入ってサーフィンする人がいたり、
波打ち際を歩く人がいたり、
釣りをする人がいたり、
友人とカメラで夕日を撮る人たちがいたり、
車から夕日をただただ眺めている人がいたり、
(僕は割とこれ)
みんな他人でみんな別のことをしているけど、
なにか「暖かい一体感」を感じる時間。
あれ?
家族の団らんと似てる??
たぶん、花々からも似たようなものを感じている。
夕日と同じで「季節限定」で「いつかは散る」から美しいと感じるんだろう。
そして、来年同じ季節にまたきれいに咲いてくれる。
冬明けの春の花もとても好きだけど、冬前の秋の花もとても好き。
オワリはじまり。
どっちも違ってどっちも良い。
今日も良い日であるますように。