エッセイ。『所有の価値と共有の価値。』-共有経済のジレンマ-

エッセイ

近年シェアリングエコノミー(共有経済)が広がってきている。

『所有から共有の時代へ。』

僕自身利用しているサービスもあり基本的には賛同する点が多い。

 

しかし近年

「共有のジレンマ」を感じ始めてきた。

 

『なにを所有してなにを所有しないのか。』

家づくりの検討において参考になる点も多い。

感じたことをまとめました。

 

 

 

共有経済が発展し非常に便利な世の中になってきた。

音楽、衣類、車、宿、、、

様々なものを定額で借りることが出来る。
(サブスクリプション)

 

支出を抑え恩恵が増える。

所有からの解放。

高コストパフォーマンス。

 

 

 

 

しかし最近、共有のジレンマを感じ始めている。

 

我が家は音楽サブスクリプションサービスを利用している。

月々定額で音楽が聴ける。

最新の歌でも、昔の歌でも、いつでもどこでも聞くことが出来る。

レンタルショップに行く必要もプレイヤーに音楽を入れる必要もない。

 

非常に便利で利用を始めてから様々な曲を聴いてきた。

曲名を検索し、いつでもどこでもポチっと再生。

 

、、、、

 

しかし、飽き始めている。

 

音楽を聴いていてもなんだかワクワクしない。

 

具体的に言えば「自分でCDを借りMDに録音しプレーヤーで聴いていた」あのときの感動がない。

 

音楽に想いが乗らない。

 

他のサービス(衣類、車、)でも同様ではないだろうか。

 

 

 

 

その体験を経て気づいた。

 

借り物(共有)の限界。

 

楽をすることの代償。

 

最近分かってきた。

 

『借り物、楽をすると幸福感や満足度は下がる。』

『手間や苦労がかかった分だけ幸福感を感じる。』

 

手間が愛着を生み、愛着が幸福を生む。

 

幸せは手間や苦労の裏返し。

 

(息子や娘はそれを教えてくれる先生)

(愛車や道具たちも同様)

 

 

 

 

ポイントは

これからの社会を生きる上で

『なにを所有するか、なにを所有せず共有するか。』

の選択がより重要になってくるということ。

 

「それ(商品、サービス)」を選ぶ理由は、コストパフォーマンスを得るためではない。

幸せになるため。

 

『なにを所有するか、なにを所有せず借りるか。』

は先の幸福感に大きな影響を与えてくる。

 

 

 

 

「住まい」について。

 

サブスクリプション的な住まい方がこれから流行るかもしれない。
(賃貸は正にサブスク)

 

新築コストが高くなればなおさら。

 

ポイントは

『その選択を自分が本心から主体的に求めているのかどうか。』

 

合理的判断の罠にハマってはならない。

合理的判断とは極論「自分を消すこと」。

 

家づくり中に

「自分がどうしたいのか分からなくなってきた。」

と言われる方もいる。
(僕もそうなりがち)

それは言うなれば

「自分の主観(想い)を消し、客観(状況や比較)に判断を委ねようとしているから。」

 

合理的判断はある点までは良い。

しかしある点を超えると沼にハマっていってしまう。

主体がなくなっていく。

幸福度が下がっていく。

社会の不安が高まるほど合理に頼りたくなる。

沼にハマりやすくなる。

 

 

合理的判断の罠にハマらないこと。

=自分はなにが欲しいのかを見つめ直すこと。
(客観ではなく主観に頼ること)

は幸せな人生を歩む上で今後より重要になってくる。

 

 

 

 

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『大切なモノを持つ。』

ということ。

『幸せ、ワクワクを感じる。』

ということ。

 

「自分が死ぬときに満足して逝ける選択」を心掛けていきたい。

 

 

-「超高断熱の小さな木の家」escnel design-

 

 

 

 

〈おまけ〉................

こういう検討の時、女性は本当に頼もしい。
(僕の相方)

「なにが大切なのか」を頭でなく心で分かっている。

この世に男性と女性が存在する奇跡に感謝。

 

 

 

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