エッセイ。『おおらかな心を育てる。』満たされた感覚。-究極のリラックス-
『おおらかな心を育てる。』
先日、あるエスネルに伺った際に聞いた建主様の言葉。
幸せの秘訣を感じた。
おおらかな心を育てる家。
エスネルデザインの理想のひとつになった。
建主様の言葉を紹介します。
外壁のシルバーグレー化や無垢板の傷、、
住んでから数か月は気になっていた。
子供が傷をつける度に気を付けるよう言い聞かせていた。
それがもう気にならなくなった。
気にしなくなった。
子供に細かく言わなくなり心が楽になった。
無垢の家はおおらかな心を育てる。
おおらかな心。
「気にしない力。」「鈍感力。」
「人を許す力。」
それらはこれからの時代の在り方や個人の幸せにつながっていく。
変わることを受け入れる。
在りのままを許す。
杉板無塗装の外壁。
その風合いや変化に『生から死への流れ』のようなものを感じている。
それを自然体で受け入れられる感覚。
『老いの肯定。』
老いを許せると心がとても楽になる。
それは人間の肯定、命の肯定。
この感覚が持てるだけでとても生きやすくなる。
いつかは親が逝く。
そして自分も逝く。
親から自分へ。
自分から子へ。
順々に継がれていくもの。
そこにある安らぎ。
植栽も良い。
生命の流れ、循環、無常
自然の摂理を教えてくれる。
春に芽吹き、夏に茂り、秋に色づき、冬に葉を落とす。
そしてまた春に芽吹く。
毎年変わらず繰り返される景色。
それにどれだけ癒されることか。
命は巡り巡り生き続けていく。
近年思っていること。
頭の使う部分を「左脳」から「右脳」に移行していきたい。
「考える」から「感じる」に変えていきたい。
「考えて判断する」ことは容易。
対して
「感じて判断する」ことは容易ではない。
精度の高い判断を行うには様々な経験を積まなければならない。
直感を研ぎ澄ます。
それには
「たくさん挑戦(失敗)すること」
「自然に触れること」
が必要だと感じている。
自然の中で最上級にリラックスできている時
すべてとつながっているような
すべてと一体になっているような
自分があるようなないような
溶けて消えているような
不思議な感覚になることがある。
究極のリラックスとは
『自分がなくなるような感覚』なのかもしれない。
それは
死んでいるようで生き続けているような
葉が枯れたようでまた春に芽吹くような
空の中の雲のひとつになったような
究極のリラックスの探求。
そうした不思議な感覚に触れることがたのしい。
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おおらか、癒し
命の循環、自然の摂理
満たされた感覚
自分が過ごす空間にそうしたものを求めているのかもしれない。
数値で表せず伝えにくいこの感覚。
そうした空間を造り上げていきたい。
-「超高断熱の小さな木の家」escnel design-