『中越沖地震から10年』家を建てる上で最も大切なこと。

家づくりへの想い・村松(ゆう)について

ゆうです。

先日の7/16日で新潟を襲った「中越沖地震」から丸10年が経ちました。

夏の柏崎を彩る「ぎおん柏崎まつり大花火大会」は毎年7/24-26。
10年前の2007年は地震の影響で花火を打ち上げることができなかった。

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2007年当時、僕は大学4年生でした。

群馬にいたのですが、その日はたまたま新潟に帰る用事があり、
地震が起きた10時13分には、小千谷市のあたりを高速バスで移動している最中でした。
(移動中+サスペンションがよかった?ため、揺れにはほとんど気づかなかった)

高速道路が通行止めになり、その後は下道を通って
なんとか新潟市まで行けたのを覚えています。

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後日、柏崎の街中を大学生だった相方とともに車で通った。

柏崎の本町通。
この10年毎年少しずつ街が様変わりしてきた。

中越沖地震の最大震度は6強。
2004年に中越地震が起きてからまだ3年しか経っていなかった。

同日の15時37分には最大深度6弱の余震が来た。

震源は海底だったが、柏崎の海岸に到達した津波の観測は1mだった。

柏崎市内では約4万2600戸が断水になった。

電気の復旧は早く2日後。
上水は2週間後。
下水は1ヵ月後。
都市ガスは1.5ヵ月後だった。(完全復旧まで)

海岸線近くの都市であるため、砂礫地盤による「液状化現象」が至るところで起き、
地中の配管は大きな被害を受け、復旧に時間がかかった。

国道や海岸線沿いの道路で土砂崩れがあり、一時通行止めがあった。
海岸線沿いはそのまま通行止めになり 、2010年に迂回するトンネルが完成した。

日本一海に近い「青海川駅」では斜面が崩壊し、線路が埋まった。

柏崎・刈羽を車で走っていると、築年数の経った家の1階が崩壊し、
つぶれている状態の家をよく見かけた。

液状化もあったのかもしれないが、多くは

「地震に耐える耐力壁が少なかった」

「耐力壁の施工(金物の取り付けなど)が不十分だった。」

ことが原因だと思われる。(熊本地震も同様)

柏崎の街中のデパート「フォンジェ」の入り口。
液状化で地盤が下がってしまったことがわかる。

立ち入ることが危険なことを示す「赤紙」が張られている。

当時実家に住んでいた妹から

「たくさんのボランティアの人たちや自衛隊の人にとてもお世話になった。」

という話を聞いた。

そんな経験があったからか
東日本大震災が起きたときは復興ボランティアに何回も参加した。

「なにか役に立てることがあれば。」

という思いだったが、

もしかしたら無意識的に、

「中越沖地震の際に受けた恩を返したい。」

と思っていたのかもしれない。

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10年経った今となっては、不思議なもので

建築士になり、

耐震計算など住宅を設計する仕事をしてご飯を食べている。

今は、中越沖地震で「全壊」となり、その後耐震リフォームをした相方の実家に住んでいる。

「半壊」となった僕の実家の壁のクロスは地震のときにやぶれたままだ。

(吹き抜けに面した壁に集中してやぶれが起きている。
 床のない吹き抜けの壁には地震力が集中してしまうことが体感としてわかった。)

こういう言い方は不適切なのかもしれないが、

中越沖地震で被害を受けたことがとても大きな経験値となっている。

すべては経験。

あの日の最悪であった体験は、今日の生きた力になっている。

新築を考える際にどうしてもおざなりになってしまう「耐震性」。

しかし、それをおざなりせず、真面目に考え、

計算によって得られた安全性を持った家を建てることが、

万が一、地震がきた際に家族を守ることにつながる。

※地震による直接的な被害(倒壊→圧死)だけでなく、
 修復のための費用などの二次的な被害も含む。

時間が経つとどうしても忘れてしまう。
(それは人間の長所なのかもしれないが)

しかし、節目節目であのときを思い出し、

明日を生きるための力に変えていこう。

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